若手看護師への応援メッセージ Message for Nurse
第2回 壁にぶつかったときは悩むより考える!

赤十字病院で働くスタッフには自院だけでなく、救急・災害時には率先して被災者のケアにあたること、応援要請があれば遠方の被災地に出向いてケアにあたることが求められます。ときに活動の“舞台”は海外であることも。第2回は、そんな赤十字病院の一つ、足利赤十字病院(栃木県)看護部長の川﨑つま子さんからの応援メッセージです。[聞き手:高崎健康福祉大学准教授 木村憲洋氏]]

お話をうかがうのは…

足利赤十字病院
看護部長 川﨑 つま子さん(写真右)
 

川﨑つま子(かわさき つまこ)
1978年、国立埼玉病院付属看護学校を卒業後、国立医療センター(現在の国立国際医療研究センター)に勤務。1991年から赤十字病院系列へ。赤十字病院の幹部研修にて「赤十字の諸原則」に出会い、黄金律(ゴールデンルール)を知り、赤十字の魅力に惹かれる。2008年から2011年まで小川赤十字病院の看護部長を務めたのち、2011年から現職。趣味は読書と旅行。

看護学校進学は上京の手段、演劇を学びたかったんです

 

木村:川﨑さんが看護師になりたいと思ったきっかけからおうかがいします。
川﨑:実は高校で演劇部に所属していて、卒業後は、とにかく上京して演劇の勉強をしたかったんです。でも両親に「何を考えているんだ!」と猛反対されて、看護師になることを条件に関東の看護学校に進学したんです。「看護師になる」というのは特に母の望みで、母の叔父が岩手で町医者をしていたこと、2人の妹が看護師であったことが影響していたみたいでした。
ですから入学と同時に劇団に入団して、放課後や土日は劇団通いに忙しい日々でした。夏休みも、学生寮が閉鎖されるので、担任のA先生に住み込みOKの病院を紹介してもらい、アルバイトをしながら劇団の稽古に通う、そんな3年間を過ごしました。

木村:今の川﨑さんからはまったく想像できない、"じぇじぇじぇ"な事実ですね。よく看護師の道へ転向されましたね。
川﨑:そのA担任に進路の相談をした時に、「演劇もいいかもしれないけれど、看護師の仕事は演劇以上に楽しい仕事なんだよ」と言われまして…。私はその先生のことを大変尊敬していたので、先生がいう『これ以上やりがいのある仕事はない』という仕事ってどんなものだろう、と思ったんですね。それで、看護師をやってから演劇をするのも遅くないかもしれないなと。それが看護師への道の第一歩でした。

 

 

2ヵ月で体重が14キロ減、職場不適応になりました

 

木村:キャリアのスタートはいかがでしたか。
川﨑:初めて勤務した病院は、尊敬するA先生が以前勤務していた都内の国立病院を選びました。病棟も、学生時の研修で一番印象に残っていた神経内科を希望し、配属されました。ところが希望どおり意気揚々と入職したのですが、思うような看護がなかなかできず、すぐに職場不適応で拒食症になってしまい、2カ月で体重が14キロも減ってしまったんです。

木村:それは大変でしたね。
川﨑:でも、なぜか辞めたいとは一度も思わなかったです。むしろ、こんなにつらい日々を乗り越えて得られる、A先生が言っていた演劇よりも楽しい、いい仕事ってなんだろうと考えていました。そうしたら、やっぱりあったんですね。

木村:明るい未来が開けたのですね。それはどんなものだったのですか。
川﨑:自分がよかれと思って行ったケアに対して患者さんが予想外の反応をする、さっきの患者さんではよかったことがこっちの患者さんには通用しない、一回一回まったく違う看護を求められる――それがとても楽しいことだと。

木村:それって川﨑さんを苦しめていた「職場不適応」の原因のように思いますが。
川﨑:ええ、でもそれこそが看護なんだと気づいたんですね。毎日、新たな発見があることが看護なのだと。あんなにつらかった毎日が楽しく充実した日々へと変わっていきました。そしてそこだけは今もまったく変わらないですね。
専門的な言葉で、看護は「仮説検証過程」だといいます。唯一の答があるものではなくて、仮説を当てはめていく行為の積み上げであると。だからこそ毎回新たな答=発見があり、それがこの仕事の魅力になっている。そこをすんなり気づいて成長していける人もいるでしょうが、私のようにつらい体験があるほうが、手に入れた時の大きさが違う。だから新人オリエンテーションの時にいつも自分の体験を交えて「挫折を味わうことは決して無駄ではない」という点を強調して話をしています。

 

 


ナースではたらこへ